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名古屋高等裁判所 昭和56年(行ケ)2号 判決 1981年12月23日

原告

福田正一

原告

森川昭雄

原告

奥田栄

右三名訴訟代理人

伊藤公

被告

三重県選挙管理委員会

右代表者委員長

岡田利一

右訴訟代理人

吉住慶之助

外指定代理人四名

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は「被告が昭和五五年二月一七日執行の久居市の長の選挙の効力に関する審査申立につき昭和五六年三月二四日なした裁決はこれを取り消す。右選挙を無効とする。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求めた。

(原告らの請求原因)

一  原告らはいずれも昭和五五年二月一七日執行の三重県久居市の長の選挙(以下本件選挙という)の選挙人であるが、本件選挙の効力について同年三月一日久居市選挙管理委員会に対し異議の申出をしたところ、同委員会は同月二五日右異議申出を棄却する旨の決定をしたので、同年四月一一日右決定を不服として被告に対し審査の申立をしたが、被告は昭和五六年三月二四日右審査の申立を棄却する旨の裁決をした。

二  本件選挙は昭和五五年二月七日告示され、同月一七日投票が行なわれた。本件選挙における有権者総数は二万六〇〇七名、投票総数は二万〇四三七票(投票率78.59パーセント)、有効投票総数は二万〇二四七票であつたところ、候補者野垣内三郎(以下野垣内候補という)が一万〇一六三票、同小田胖(以下小田候補という)が一万〇〇八四票を獲得した。その結果久居市選挙管理委員会(以下市選管という)は同日野垣内候補を当選人として告示した。

三1  野垣内候補は久居市の長を二期連続してつとめ、本件選挙において現職のまま三選を目指して立候補したものであるが、本件選挙に際し別紙(二)のポスター(以下(二)のポスターという)を一二〇〇枚作成して二月七日これを市内各所に掲示した。

(二)のポスターは久居市の市章に酷似した図形で野垣内候補の顔写真を囲んだものであつて、この図形は野垣内候補と久居市との関係について際立つた効果と印象を有権者に与えるものであつた。

2  一方、市選管は本件選挙の啓蒙活動の一つとして中段に久居市の市章を大きく表示した別紙(一)のポスター(以下(一)のポスターという)を一〇〇〇枚印刷してこれを二月七日から八日にかけて野垣内候補の(二)のポスターの掲示場所と同じ場所または近接した場所に掲示した。

3  小田候補及びその運動員らは市選管の右行為に対して選挙の公正を害するものとして市選管に抗議したが、市選管はこれを聞き入れなかつた。

4  ところが、市選管は二月一四日に至り、(一)のポスターの市章の上に白バラの図柄を印刷した紙片を貼付するという姑息でごまかしにみちた手段を講じた。

四  本件選挙の管理執行機関である市選管は、野垣内候補が(二)のポスターを作成し掲示することを知つていたか、または少なくとも右のポスターが掲示された時にその事実を知るにいたつたにもかかわらず、あえて(一)のポスターを掲示したものである。

このような市選管の行為は、選挙人に対し市選管が野垣内候補を推すものとの判断を抱かせるか、少なくとも野垣内候補と市選管とが関係があるかのような印象を与えるものであつて、本件選挙につき同候補に対し有利な影響を及ぼすという結果を生じさせたものである。

したがつて、市選管は本件選挙管理執行に関しその公正を害する違法行為をしたものというべきである。仮に市選管が不注意により本件選挙の公正を害することを予測しえなかつたとしても、市選管に責任のあることには変りがない。

また、市選管が右違法行為を原告らから指摘され、かつそれによる違法状態が現出していることを知りながら、直ちに(一)のポスターを撤去回収せず、漫然と二月一四日までこれを放置し続けた上、同日以後は前記のとおり(一)のポスターの市章部分に白バラを印刷した紙片を貼付してその違法行為をおおいかくそうとしたことは、重ねて非難されるべき行為である。

五  そして、野垣内候補と小田候補との得票差が前記のとおりわずか七九票にすぎないことからすれば、市選管の前記違法行為が選挙人に対し野垣内候補に有利な印象、影響を与えたことにより、本件選挙の結果に異動を生ずる虞れがあつたことは明らかである。

六  したがつて、本件選挙は無効であつて、原告らの審査申立を棄却した本件裁決は違法であるといわねばならない。よつて、右裁決の取消し及び本件選挙の無効宣言を求めるため、本訴に及んだ。

(被告の答弁と主張)

一  請求原因一、二の事実はすべて認める。

同三の1については、ポスター掲示の日は不知、(二)のポスターの図形の効果と印象についての原告らの主張は争うが、その余の事実は認める。

同三の2については、(一)のポスター掲示の日時及び場所の関係は争うが、その余の事実は認める。

同三の3の事実は不知。

同三の4のうち、市選管が(一)のポスターに原告ら主張のような紙片を貼付したことは認めるが、その余の主張は争う。

同四の主張はすべて争う。

同五のうち、野垣内候補と小田候補との得票差が七九票であつたことは認めるが、その余の主張は争う。

二  市選管が(一)のポスターを掲示するに際し野垣内候補が(二)のポスターを作成したことを知つていた事実はないし、市選管と同候補との間にはこの点に関し何の意思連絡もない。のみならず、(一)のポスターが野垣内候補に有利な印象や影響を与えたとの原告らの主張は次に述べるとおり誤つている。

三1  一般に選挙管理委員会はその管理執行する選挙に当たり必要事項を周知させる義務があるので、そのためいわゆる啓発用のポスターを作成掲示するのを通例としている。そして、公費を使つてこのようなポスターを作成掲示する以上、宣伝効果をできるだけ大きくするため、魅力的な図形、色彩の考案に創意工夫をするのが選挙管理委員会の職員としては最も望ましい職務態度というべきである。本件選挙の場合に市の首長を選ぶ選挙であることを強調し印象づけるために、市を表象する市章をポスターの中心に据えた発想はむしろ高く評価されるべきである。

2  仮に市選管が(二)のポスターに市章類似の図形が使用されていること、または使用される見込みのあることを知りながらあえて啓発用ポスターに市章を印刷して(一)のポスターを作成し、これを掲示したとしても、違法ではない。何故なら、市選管にはこれによつて野垣内候補を有利にするとの認識がなかつたのみならず、実際上も(一)のポスターの掲示が同候補に有利な影響を及ぼしたともいえないからである。むしろ現代の選挙人の知的水準、政治感覚からすれば、却つて野垣内候補に不利な作用をしたとの見方が妥当である。

3  以上のように、(一)のポスターの掲示が野垣内候補に有利な影響を及ぼした事実はなく、市選管にそのような意図もなかつたのであるから、右ポスターの掲示をとらえて本件選挙の管理執行につき違法があつたとすることはできない。

(証拠関係)<省略>

理由

一請求原因一、二の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二そこで、本件選挙が無効であるかどうかについて検討することとする。

1  野垣内候補は久居市の長を二期連続してつとめ、本件選挙において現職のまま三選を目指して立候補したものであるが、本件選挙に際し(二)のポスターを一二〇〇枚作成してこれを市内各所に掲示したこと、(二)のポスターは久居市の市章(以下単に市章という)に酷似した図形で野垣内候補の顔写真を囲んだものであること、一方市選管は本件選挙の啓蒙活動の一つとして中段に市章を大きく表示した(一)のポスター一〇〇〇枚を印刷してこれを市内各所に掲示したこと、その後市選管は(一)のポスターの市章の上に白バラの図柄を印刷した紙片を貼付したこと、及び野垣内候補と小田候補との得票差が七九票であつたこと、以上の事実についてはいずれも当事者間に争いがない。

2  <証拠>を総合すると、次のような事実を認めることができる。

(1)  (一)のポスターは長さが約53.5センチメートル、幅が約三八センチメートルであるが、地色が空色であるところ、その中段やや下部に市章が白く染め抜かれて印刷されている。

(2)  (二)のポスターは長さが約四二センチメートル、幅が約三〇センチメートルであるが、野垣内候補の顔写真の周囲の地色は黄色であるところ、右顔写真を囲むようにして市章に酷似した図形(以下本件図形という)が緑色で印刷されている。

(3)  市章と本件図形の形体上の相違点は、市章は内側の緑がすべて連続していて、久居市の「久」の字を図案化したものであることが一見して明瞭であるのに対し、本件図形では内側の線が五カ所で分断されているため、片仮名の「ク」の字を五つ五角形の形に並べたように見える点である。

(4)  市章は久居市が久居町であつた時代からシンボルマークとして使用されており、現在では広報をはじめ久居市に関係のある文書に数多く使用されていて、久居市民の間では周知の図形である。

(5)  市選管は本件選挙に際し啓蒙活動の一環として啓発用ポスターを市内各所に掲示することとしたが、その具体的な作業は事務局に一任した。そこで昭和五五年一月二八、二九日の両日事務局長前田二生及び書記竹内利幸が応援に来ていた総務課の職員二名と相談した結果、前田及び竹内の発案で久居市の選挙であることを強調するため、ポスターの図案を市章とすることに決定して、同月三〇日藤永印刷にポスターの印刷を発注し、その二、三日後に印刷ができ上つた。

(6)  (二)のポスターの図案は野垣内候補の選挙運動の企画を担当していた永田文彦が野垣内候補のそれまでの長としての業績を強調するため、市章をとり入れて作成したものであつた。しかし野垣内候補が自己を表示する記号として市章を使用したことは、それまで一度もなかつた。

(7)  野垣内候補が(二)のポスターを使用することは立候補届出まで秘密にされていたので、市選管は事前に右ポスターの図柄等を知つていなかつた。ところが、前記竹内は告示の日である同年二月七日立候補受付の際、野垣内候補の(二)のポスターを見て、市章に酷似した本件図形が使用されていることに疑義を感じ、被告事務局に電話で照会したが、特に問題はないという返答をえた。

(8)  市選管は告示の日に自治会を通じて(一)のポスター約九〇〇枚を市内各所に掲示した。その中には(二)のポスターや小田候補のポスターに近接して掲示されたものもあつた。

(9)  告示の日(一)と(二)のポスターを見た小田候補の運動員ないし支持者から市選管の事務局に対し両ポスターの図柄が類似していることについて抗議の電話があつたが、事務局では(一)のポスターは野垣内候補と関係なく自主的に作成したものであるといつて抗議にとりあわなかつた。

(10)  ところが、同月一二日頃被告事務局の書記から、(一)のポスターに市章を使用していることについて市選管の方で一度検討した方がよいのではないかという電話連絡を受けたので、前田と竹内が協議した結果、(一)のポスターの市章の上に空色の地に白バラを印刷した紙片を貼付することに決定し、直ちに藤永印刷に印刷を依頼して、同月一四日白バラの紙片を貼付する作業をした。

(11)  (一)及び(二)のポスター並びに小田候補のポスターはいずれも藤永印刷で印刷されたが、注文した順序は小田候補のポスター、(二)のポスター、(一)のポスターの順であつた。

以上の事実を認めることができ、<る。>

三ところで、公職選挙法(以下単に法という)二〇五条一項にいう「選挙の規定に違反することがあるとき」とは、選挙の管理執行に関する法規の明文に違反する場合のみを指すものではなく、法規の精神に背き自由かつ公正な選挙が阻害された場合をも含むものと解すべきである。そして、選挙管理委員会が選挙に関する啓発周知等の義務を抽象的に定めた法六条一項の規定の趣旨に著しく違反し、これがために自由かつ公正な選挙が阻害されたような場合にも、選挙の規定に違反するものとしてその選挙の全部または一部が無効となることがありうると解するのが相当である。

四しかしながら、本件選挙については、右のような意味において選挙の規定に違反するものがあつたことを認めることはできない。即ち、まず、市選管は野垣内候補が(二)のポスターを作成し掲示することを予め知りながらあえて(一)のポスターを掲示した旨の原告らの主張事実についてはこれを認めるに足りる証拠はないので、この事実を前提とする原告らの主張は採用することができない。

五次に、市選管が(一)のポスターを掲示した時点においては野垣内候補の(二)のポスターが掲示された事実を知つていたことは、前認定のところから明らかである。原告らは、市選管のこの行為は、選挙人をして市選管が野垣内候補を推すものと判断させるか、少なくとも野垣内候補と市選管とが関係があるかのような印象を与えたものであつて、それが同候補に対し有利な影響を与えたものである旨主張する。

しかしながら、市選管は本件選挙の啓蒙活動の一環として久居市の選挙であることを強調するためポスターの図形を市章とすることに決定して(一)のポスターを作成掲示したものであること、野垣内候補は(二)のポスターを作成するにあたり、それまで久居市の長として果たしてきた業績を強調するため、その図案に市章(厳密には市章に酷似した図形)をとり入れたものであること、久居市の市章は久居町の時代から長年にわたつて使用されて来たもので久居市民の間で周知されているものであること、並びに野垣内候補は従来自己を表示する記号として市章を使用したことは一度もなかつたことはいずれも前認定のとおりである。そして、以上の事実関係から考えると、選挙人である久居市民が(一)及び(二)のポスターを見た場合に、(一)のポスターから連想するのは久居市であり、また(二)のポスターの本件図形から連想するのもやはり久居市であつて、(一)のポスターから直ちに野垣内候補を連想することは通例ありえないとするのが相当である。また、偏見を持たない選挙人が(一)及び(二)のポスター自体から市選管が野垣内候補を推しているとか、野垣内候補と市選管とが関係あるかのような印象を受けることも、ほとんどありえないものというべきである。

以上の認定判断に反する<証拠>はたやすく信用できない。

したがつて、原告らの右主張も採用できない。

六更に原告らは、市選管が違法行為を原告らから指摘され、かつそれによる違法状態が現出していることを知りながら、直ちに(一)のポスターを撤去回収せず、漫然と二月一四日までこれを放置し続けた上、同日以後は(一)のポスターの市章部分に白バラを印刷した紙片を貼付した行為は、重ねて非難されるべきである旨主張する。

しかし、(一)のポスターを撤去回収しなかつたことが違法でないことは五の説示に照らして明らかなところである。また右ポスターの市章部分に紙片を貼付したことは、原告らからの抗議や被告事務局からの示唆により、無用の疑惑を避けるため念のためとつた措置であることが認められるし、紙片の貼付によりかえつて(一)のポスターの市章が強調され、野垣内候補の連想へと導くというようなことも通常の場合起こりえないことであるというべきであるから、右紙片の貼付をもつて違法であるということもできない。

したがつて、原告らの右主張もまた採用できない。

七以上において検討してきたところに従えば、市選管が(一)のポスターを作成掲示し、またその後(一)のポスターの市章部分に白バラを印刷した紙片を貼付した行為をもつて法六条の趣旨に著しく違反し、これが自由かつ公正な選挙が阻害するものとは到底認めることができない。したがつて、本件選挙の管理執行につき選挙の規定に違反するものがあつたとは認められないから、本件選挙が無効であるという原告らの主張は、その余の点に立入るまでもなくこれを採用することができないし、原告らの審査申立を棄却した本件裁決を違法とすることもできない。

よつて、原告らの本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九三条一項本文、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(秦不二雄 三浦伊佐雄 喜多村治雄)

別紙

(一) 久居市選挙管理委員会のポスター

市章の色彩  白色

縮尺     六分の一

(二) 野垣内候補のポスター

本件図形の色彩  緑色

縮尺       六分の一

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